完全教祖マニュアル

教祖は人をハッピーにする素敵なお仕事なのです! イエスは何をしようとしましたか? 戒律により硬直化した社会を打破し、人々をハッピーにしようとしたのです。釈迦は何をしようとしましたか? 輪廻転生によるカースト制度を打ち破り、人々をハッピーにしようとしたのです。分かりますね? あなたの使命もやはり「人をハッピーにすること」なのです。

ハッピー教祖笑

教祖はお金も稼げますが、お金を受け取るのは、あくまで人をハッピーにした代価です。騙して巻き上げているわけではありません。

宗教は立派なビジネス

会社を守るため、社員を食わせるために、時には非情な決断も迫られる社長。対して、常に綺麗事ばかり言っていればいい教祖。尊敬を得るにはどちらの立場が有利か言うまでもありませんよね?

教祖はただお金が稼げるだけではありません。あなたを信じる人々をハッピーにし、そして、彼らからの尊敬も得られる素晴らしい職業なのです。お金さえあれば人生幸せなわけではありません。人々に必要とされ、人々から尊敬され、人々に影響を及ぼしてこそ、あなたの人生は充実するはずです。つまり、教祖こそが、あなたの人生を最も幸福なものにしてくれる、最高のライフスタイルなのです。

たしかに、教祖はぜんぜんありっちゃあり。カリスマ性が必要だけどね。日本における宗教のイメージは悪すぎるけど笑

また、日本人の宗教アレルギーは、逆に考えると、付け入る隙であるとも言えます。というのは、彼らは宗教を頭ごなしに嫌うあまり、宗教に対して無知なのです。また、戦前の国家神道の反動で、戦後は宗教について教育で触れることがタブー視される傾向にあります。

目次

もくじ

教義を作ろう

ていけば、あなたの作る神の姿も自然と見えてくるはずです。つまり、現実社会の問題点に即して、いま必要とされる神を作れ、ということです。

ひらめき「AI神」
教義をAIに詰め込み、神をBotで作る。その教えに従って、信者は行動する。教祖は神の教えを解釈して伝導する。

宗教の本質というのは、むしろ反社会性にこそあるのです。特に新興宗教においては、どれだけ社会を混乱させるかが肝だということを胸に刻んでおいて下さい。

社会を混乱させるほどインパクトが強い。

そもそも、現在不幸な人というのは、社会の提示する価値基準に照らして不幸なわけです。つまり、貧乏だとか、恋人がいないとか、出世できないとか、そういうことで不幸になっているのですから、あなたは彼らに社会とは別の価値基準を提供すれば良いのです。「お金なんかない方が幸せだ」「家族など修行の妨げである」「世俗の出世に何の意味があろうか」などなど。どれも反社会的ですが、こうすることで社会的弱者である彼らを、別の価値基準、つまり、あなたの提供する価値基準でハッピーにすることができるのです。

別の価値基準の提供。これは宗教じゃなくてもYouTuberとか発信者がわりとやっていること。
これが書かれたのが2016年なので、もうそれから7年経っている。価値観もかなり多様化していて、ある意味で価値観の転換期、自分の幸福度とか価値観を再定義するような時代がきていると思う。

あなたのすべきこととは、
①社会の基準で幸せになれない人を見つける
②反社会的な基準を与えてその人を幸せにする

、ことだと考えて下さい。

発信。

社会的な視点から見れば、私有財産を持たず、恋人も家族もいない出家者は社会的弱者であり負け組ですが、そもそも彼らには勝ちとか負けとかないのです。そういった社会的視点からのみ彼らの勝ち負けを判断するのは傲慢と言っても良いでしょう。当の出家者からすれば、「へっ? オレ、負けてんの? いつ、誰に負けたの??」と本気で不思議がると思います。社会が提供する価値基準だけが全てではないのです。

俗世だとね。資本主義社会だと基本的に金持ち→勝ち組の構図なので、そうなる。ただ、俗世を離れるとその構図のそれではないから勝ち組とか負け組とかの尺度が消える。ま、僕らが生きているのは(資本主義)社会なので、杓子定規的に特に日本の場合は決められちゃうから辛いところがあるよね。上を見ればきりがない。どう生きるか。

まず、あなたがすべきことは、社会の「問題点」を発見することです。これは前項でも触れてますから、いくらか当たりは付いていますよね。そして、次に「前提」を用意して下さい。
仏教の輪廻転生や、ムハンマドの使徒性に当たるものです。これは少々突飛なものでも構いません。ここまで出来たなら、後は「前提」を主張しながら、「問題点」を追及すれば良いのです。要するに、世迷いごとを口にしながら社会を口汚く罵っていれば良いということです。  
すると、どうでしょう。なんとインテリが勝手に「前提」と「問題点」の間を論理的に補完してくれるのです!ここで「前提」と「問題点」を繫げることになった論理的思考、これがすなわち「哲学」です。

これも会社と似ている。インテリとか二番手が論理とかを補完してくれる。ただ、前提と問題点を発見すれば良いだけ。もちろんインテリを動かすには人間的魅力や何よりメリット(会社の場合は報酬が明確)が必要。宗教の場合は、何かしらの体験。(非日常であればあるほどよさそう)

あなたがすべきことは、むしろ突発的奇行です。これにより、「オレは普通じゃねえんだぞ」というオーラを出して、「前提」に説得力を与えることが大切です。

常に自信がないと厳しいね笑

大衆に迎合しよう

「愚民どもにはオレの高邁なる教えなど分からんのだ」などと思いたくもなるでしょうが、しかし、そういった愚民こそあなたが救うべき人たちだということを忘れないで下さい。

教祖はピラミッドの頂点だが、目線は低くする(もしくは偽る笑?)必要がある。

では彼らは一体何を求めているのでしょうか。言うまでもありませんね。現世利益です。この世の真理を悟りたいとか、完璧な人格を目指したいとかではなく、健康でいたい、家族と仲良く暮らしたい、給料が上がるといいな、大学に受かりますように、と、彼らが求めるのはそういった次元のものなのです。

人生は一度きり。だれもがみな、このときを充実して生きていたい。

要は人をハッピーにできればそれで良いのです。だって、ハッピーなことが何よりの現世利益なんですから。

現世利益=幸福

は、「その人が良いと思うことを素直に実行させる」というものがあります。なぜなら、人間というのは「こうした方がいい」ということは分かっていても、大抵の場合はそれをしないからです。

結局、めんどくさかったり、なんかしらのストッパーやブレーキ(心理的葛藤)がかかることで行動しないのよね。

信者を保持しよう

無宗教の人は「不思議なこと」に対する抵抗力がありません。そこで、あなたは「不思議なこと」を意味付けできるよう、しっかりと準備しておけば良いわけです。

たしかに僕は無宗教だが、不思議なことが起きた時に意味付けはできない気がする。不思議なことが起きた経験もあまりないのだが・・・笑

不安を抱いていない人に対し、「お前は実は既に困ってるんだぞ」と言うことは有効だということです。

こうすることで困らせて、入信させるスタイル。どの宗教もわりとこのスタイルをとっている。

組織を固めるという意味では、「うちの宗教を棄てたり信仰を怠ると、また不安に苛まれるぞ」といったニュアンスを出すことも大切です。とはいえ、辞めていく信者に対し、「呪いが下るぞ!」「不幸になるぞ!」などと下品に脅す必要はありません。そんなことをしていると外聞も悪くなりますしね。ですので、あなたはもっとお上品に、 「あなたがいま幸福なのはこの宗教を信じているからですよね?」  と言うだけで良いのです。

あなたも「一回コレをやればハイ救済。後は好きにしていいよ」というものではなく、教団への永続的なコミットメントを要求するような、そういった類の救済を与えるようにしましょう。

毎年購入する破魔矢など。(筋トレでいうとプロテインなど?)

食物規制にはやはり「内側の結束を固める」という意味合いがあったと言えるでしょう。

イスラム教徒だから豚肉を食えない。となると、自分の特殊性を自覚して信仰強化につながる。
そして、内側の集団そのものの結束を強める。(例.おなじイスラム教同士の結婚など)

ちなみにイスラム教の断食は、「みんなで腹を空かせた貧乏人の気持ちになってみよう」という趣旨のイベントですから、飢えの体験を共有することによりイスラム教徒同士の連帯意識も育つわけです。

どこまでいっても人は集団的生物であるのだね。

断食は宗教的な理由により行われる特殊なことですから、いわば「聖なる時間」と言えるわけです。「聖なる」と言っても、倫理的な善悪という意味ではなく、「宗教的な」というくらいの意味です。ここで何が言いたいかというと、つまり、差別化というのは「世俗の○○」を「聖なる○○」へと変えることなのです。

教団の記念日はもっと「今日は教団にとって特別な日である」という点をアピールしたいものです。

たとえば、猫教をつくったとして・・・特別な日は猫の日(すでにあるんだと思うが)
その1日を猫と向き合う日にして過ごすと、より宗教にのめり込んでいく。みたいな効果がある。

異常としか思えない話を聞くと、「やっぱり宗教キモーイ」などと思えてきますよね。 しかし、こういった異常性もまた差別化の一つと言えるでしょう。つまり、外部には理解できない、内部だけの論理を生み出すわけです。

異常な行為も内部の人らがハッピーだったらOK。犯罪じゃなければね。

教義を進化させよう

人はそんな簡単なものではありません。義務が無ければ無いで不安になってくるのが人間というものなのです。

ははは。自由過ぎるとそれはそれで苦しむんだよね。わかる。

逆に「これこれやっておけば救われる」という義務があった方がむしろ心安いのです。

不思議よね。しかも義務があればあるだけ信心深くなるという。

死んだ後、阿弥陀仏がパーッと現れ、本当に極楽に連れて行ってくれるかどうか筆者は知りません。ですが、それを本気で信じていれば人生がハッピーになることだけは間違いないのです。だって、死んだら阿弥陀仏が極楽に連れてってくれまますからね。少々現状が辛くたって楽勝ですよ。

たしかにこれは良いメリットだ。辛さを乗り越えるって人生において大切ですからね。
救いがあると信じていたほうが救われることも多いでしょう。

まったくの部外者ならともかく、一度自分の意志で入信した人なら、きっと素直に聞いてくれるはずです。だって、人は権威に従うことが大好きなんですから。

リーダシップを発揮するとはこういうこと。人は権威にガッツリ従う。

人というものは常にその場における権威を見定め、それに服従しながら人生のステージを歩んでいく、そういうものなのです。

へー。確かにそうかもしれない。今、自分が従っている権威はなに?人ではなくともそれは存在するかもしれない。
生まれたときは、親という権威。学校では教師。職場では上司。といったように。
これが社会に適応するということでもある。社会に適応できなかった僕は、よい上司に巡り会えなかったということでもある。結構そういう人はいる気がする。クソみたいな上司は多い。上司はガチャ。逆に、よい上司に巡り合えたら会社員として権威に従いつつ成長していた気がする。道はそれたけど、別に成長できないわけではない。

逆にこういった権威に常にツバを吐きかけながら生きる反社会的人間も少数ながら存在し、彼らは一般に「パンクロッカー」と呼ばれます。

なるほど。パンクロッカーか。たぶん僕は違う。社会から運悪く(自分の行動によるものではあるが)はじき出された側。ただ、なんだかんだ会社を立ち上げてクライアントワークをしつつ社会と関わりを保っている存在。これがないと社会との接点は少なくなる。どんな形であれ働くことで社会との接点はもっておきたいものだ。

社会的に教育された彼らは、教祖であるあなたに権威を求めているはずですから、あなたは皆の期待に応え、権威を振りかざすべきなのです。権威をもって彼らにルールを与えましょう。それが皆の幸せのためなのです。

納得。自分で選択することもまた、権威に任せたほうが楽。人は自分で選択するのが苦手。
権威に従うというのは楽ちんなこと。

現に我が国においても、おばさんたちは「あるある大事典」や「おもいッきりテレビ」の権威に従い、納豆やバナナを買い漁っているではありませんか。

たしかに笑 権威は人だけじゃない。
まこなり社長が言っていたから買う・・・みたいなのも立派な権威性ですね。

あなたの宗教に自発的に入った人なら、同じ理由であなたの権威にも喜んで服従するはずです。彼らにはそれが一番楽ちんなのですから。

オンラインサロンも似たようなもの。現代の宗教。

信仰を持った人に「信仰を持って良かったことはなんですか?」と尋ねると、「しっかりとした価値観が持てるようになった」「自分の中に一本芯が通ったから、ブレることがなくなった」「何かに迷っていても、自分には宗教という指標があるからそこに立ち戻れる」といった返事がよく返ってきます。これは言ってしまえば、「自分で考えることが減ったのですごく楽だ」ということです。楽というのはハッピーなのです。

たしかに。”迷う”というのは非常にエネルギーが必要。だから、指針があると楽。そして、楽=ハッピー。
なるほど。僕はつらくても自分で考える方を選ぶかな・・・。そっちのほうがハッピーになれると思っている。

ですが、何も悩むことはありません。あなたが従うべき権威など本書以外にありえないではありませんか。本書の権威に従い、本書の言う通りに行動すれば良いのです。そうすれば必ず教祖として大成できるでしょう。本書を信じなさい。本書を信じるのです。

本にも権威性がある。
たしかにその通りに行動したら、権威性も更に増すってものだ。

このように「自分は特別な聖人ではない」「あるがままのふつうの人間である」と表明する姿勢が、逆に信者から好感を持たれることもあります。

YouTuberみたいな感じ。親近感。AKBなどのアイドルも同じ。やっぱ秋元康は天才だ。完全にわかって組織している。

イスラム教徒にとってはここが重要なポイントで、彼らにとってムハンマドは、「僕たちにも真似ができる現実的な範囲での模範的人物」なのです。右の頰を打たれたら左の頰を差し出すような聖人は真似しようと思っても並の人間には難しいですよね。

親近感。

あなたは特に堅苦しい思いもせず、「現実的な模範的姿勢」を示すことで信者にもハッピーを与えることができるというわけです。ですから、「教祖になるからには堅苦しい生活をしなきゃいけない」などと思い詰めないで下さい。何事もやり方次第なのです。

親近感。

いかにあなたが人類の幸福促進のため、善意一〇〇%で素晴らしい教えを説いたとしても、新興宗教のうさんくさいイメージが払拭されるわけではありません。この点が教祖のネックであることは否定しきれない事実です。

新興宗教という言葉だけでうさんくさい。宗教にうさんくささはつきもの。

これはいわゆる疑似科学、エセ科学というやつですが、大丈夫、普通の人は「これは科学です」とさえ言っておけば絶対に疑いません。

幸福の科学とかね。ある意味完璧なネーミングセンスだと思う。
宗教の本懐である「幸福」とみんなが信じる「科学」をかけあわせちゃっている。これはビジネスにも当然ながら転用できる。認知科学とかも同じような類。(当然、苫米地さんのようなまとも権威性のある科学者もいる)

これは使い古された言葉ではありますが、「科学も宗教」です。この表現は使う人によって色んな意味があるでしょうが、少なくとも科学に対する人々の「信仰」があることだけは確実です。

科学とは

研究対象または研究方法によって、自然科学、社会科学、人文科学などに分類されます。狭義には、自然科学をさすことがあります。自然科学には、物理、化学、地学、生物学など様々な分野が含まれます。

しかし、私たちはしばしば科学を「信仰」していることを忘れ、絶対的真理であるかのように錯覚してしまいます。 普通の人は科学であるというだけで頭から信頼します。

最近思う。わりとみんなお金をいとも簡単に払うし、信じる。

ですから、あなたも科学的体裁を取ることで人をハッピーにできるのならそれで良いのです。「科学も方便」です。

嘘ではないから、嘘も方言もとい科学も方言・・・ね。

そういった人にはもう少しお手軽な方法があります。LSDやマジック・マッシュルームなどの幻覚剤を用いるのです。昔、ティモシー・リアリーという偉い学者が実際にこれを実験していました。著者には経験がないので分かりませんが、これらを使えば同様の錯覚を起こすことが可能なのかもしれません。

ビジョンが見えちゃうからね笑
これが悟りの正体とも思える。スティーブ・ジョブズとかもね。

布教しよう

信者勧誘において、まず初めに狙いたい人たちが、病気で苦しんでいる人や、死にかけの老人などです。彼らは絶好の布教対象ですので、確実に探し出して布教しましょう。

まずは弱っている人が布教の対象。

現代における社会的弱者を具体的に示すならば、ワープアやフリーター、ニート、派遣社員などを挙げることができるでしょう。また、伝統的な社会的弱者である、罪人、病人、女、子供、障害者、下位カーストなども確実に押さえていきたいですね。彼らのような人たちにこそ、あなたのもたらす救いが必要なのです。

弱者を助けると布教が広まる。

物質的に教祖生活をエンジョイするためにも、教団運営資金を潤沢に得るためにも、お金持ちの信者は早めに確保しておきたいところです。釈迦も早々に富裕な商人を信者に加え、経済力をゲットしていたのですから。

当然、企業であれば大企業のお財布を抑えておくという発想に転換できる。資金は潤沢にあるほうが、活動がより活性化しやすくできる。

つまるところ、宗教的寄付というものの本質は「自分のために行うもの」なのです。だから、あなたもむしろ奉仕の気持ちでお金を受け取るべきでしょう。お金はうんこのようなもので、教祖は便器のようなものなのです。

わろた。

実際のところ、宗教においてコミュニティ性は重要な要素です。教義に感動して入信する人もいるでしょう。精神的な救いを求めて入信する人もいるでしょう。

なんというか、オンラインサロンのそれだなぁ。

近所付き合いが希薄になってきた昨今、宗教という同じ価値観で結びつき、連帯感を持つ人たちが身近にいてくれるというのは、なかなかに頼もしいことではないでしょうか?

たしかに。コミュニティ機能はありがたいね。僕もなんだかんだコミュニティに属したい欲がある。なんだかんだ。

困難に打ち克とう

ですから、あなたも他教をこきおろすことで、他教との違いを明確にし、かつ、他教の提示する価値観では救われない人たちを取り込むことができるわけです。手っ取り早く信者を増やしたいのであれば、巨大宗教団体に嚙み付くのが一つの手段と言えるでしょう。

はは。昨今ではちょっとディスりは嫌われるというか嫌煙される行為だね。もうちょっとうまくやりたい。

時流は共存と寛容なのです。他宗教の悪口は今時流行らないのです。

そうだよね。僕も悪口を言うのは好きじゃない。

しかし、それでも排他主義よりも他教を認める方が、第三者視点から見れば平和的であることに間違いはありません。あなたはこれらのリスク&リターンを考慮して、こきおろすか認めるか、どちらかの方法を選択するべきでしょう。

平和であるならばそれが一番。

外部から「それはダメだ」「お前らは間違っている」などと言われれば、ムキになって「そんなことはない!」「オレたちは正しいんだ!」と反論したくなるのが人情です。外部からの一方的な批判は、むしろ彼らの信仰心を強化することに繫がるのです。

筋トレなんかやめろ!と言われたら、より反発して筋トレしたくなるもんね。

現代日本ではあなたがどれだけ真面目に新興宗教を行っていても、必ず誰かが批判してくれます。迫害不足に困ることはありません。

迫害者の存在(アンチ)は逆に当事者たちのやる気を盛り上げる。

甘い汁を吸おう

しかし、教団出版物だけは話が別です。だって、信者の数だけは売れますからね。教祖だけは例外的に、出版を安定したビジネスへと変えることができるのです。

AKBのCDのそれです。何枚も信者に買わせることができる。

宗教の本質とは「日常からの飛躍」にあります。日常の論理とは異なる、別なる価値観を持つ世界。それが宗教の世界です。

日常からの飛躍かぁ。ちょっとこの発想は僕は苦手。日常を愛している。

私たちは「よく分かんないままに」数珠を持っているということです。何に使うのか分からなくても、それを葬式に携行することがスタイルとして確立しているから所持しているのです。本来の用途に用いない以上、数珠の有無なんか本当はどうだっていいはずですが、しかし、ここには確かに「本来不要なはずの」数珠に対する需要が生まれているのです。この事実からも、あなたは甘い汁の吸い方を学ぶことができるでしょう。

いやー確かに。数珠も不要だけど、「みんなつけてるしそういうものかな。」でつけていた。これにも立派にお金かかってるもんな。買ったことないけど。

まとめますと、お金であれ、行為であれ、人は何かを犠牲にすれば、その分何かを得られると考えるわけです。宗教の場合、得られるものは救済です。ですから、あなたも免罪符を売ることで彼らから搾取をするのではなく、免罪符で彼らに救済を与えているのだと考えて下さい。

犠牲にしたら、犠牲にしたまんまかもしれないのにね。何かかえってくる保証もない。

教団の最大の収入源はもちろん信者からの寄付です。

お布施。

まず簡単なのは、彼らの名誉欲を刺激することです。彼らがたくさん寄付をすればするほど教団の中で一目置かれるような、そんなシステムを作り上げましょう。

ちなみに、皆さんもご存じの通り、宗教団体に対する寄付金は非課税ですから、集めた寄付金は一〇〇%教団で使用することができます。なぜ宗教団体が非課税なのか納得いかない人も多いと思いますが、これは宗教団体が趣味のサークルみたいなものとして扱われているからです。

信じられないくらい儲かる理由がこれ。

このように、あえて寄付をすることには多くのメリットがありますが、これの最大のポイントは、あなたの懐が一切痛まないということです。だって、元々、信者たちのお金ですからね。あなたは何も失うことなく、他人の金で名誉と尊敬だけを得ることができるのです。

信者から集めたお金で寄付をする。すると名誉と尊敬を得られる。

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この記事を書いた人

1992年生まれ。30歳のときに活力の衰えを感じ、危機感を覚える。テストステロン値の低下が招いたものだと仮説立てる。筋トレを再開してから、活力がみなぎる。趣味はゴルフ。

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